きれいな神棚がほしい、がきっかけ
デザイナーが自分でほめてもしょうがないのだが、朝日に輝くOUFDA-DENの最終試作は、神々しいほど美しかった。
神棚のデザイン開発に着手したきっかけを少しばかり紹介しておこう。
「最近の家には神棚はないのだろうか」。
ある時、若者たちと神棚論議になった。
立派に老人の入り口まできている自分の理解は、最近の若者はきっと神様離れもさぞかしすすんでいるものと思っていたのだが、実はそうでもない。
若者たちもなにかにつけて、神社にお参りし、お札をいただいてくるという習慣は決してすたれていない。
ただ、昨今の都会の洒落た住宅空間には、古来からのお宮の模型のような神棚はそぐわない。だからだろうか、食器棚の上とか中とかに神様が鎮座することが多いようだ。
神棚のデザイン
神棚のデザインと書きながら、とても不思議な表現かもしれないと思っている。多分神棚というものはデザインされた事がないのではなかろうか。
断っておくが、ここでデザインとはなにかという論議は神棚に上げておくことにしたい。
神棚は古来から家内安全、繁栄を祈願して神様を家の中に祀るための社として始まったものだろう。
だから、現在にいたるまで世の中で販売されている神棚は例外を除いて、神社のミニチュア、すなわち神社の模型が基本になっている。
伊勢神宮の社のように、極限のシンプルさと美しさを備えたものは、現代のモダンな空間でもマッチすると思うが、そこに多少の商売気が入るものだから付録の装飾が豪華絢爛にほどこされて、不思議な神棚が出来上がる。
今でも地方の旧家に残る神棚には美術品級の細工がほどこされた巨大な神棚を目にすることがあるが、かつては、競うように神棚を作ったのではなかろうか。
お宮を極限までシンプルにする。
OFUDA-DENのデザインの基本は、お宮を極限までシンプルにすることである。 別な表現をすれば、建築は床と壁に屋根がある。それだけだ。
床は基礎のイメージと重なって厚く、壁を表現する部分はなんの装飾もないただの壁だ、屋根の表現もシンプルそのものだが勾配にはこだわった。全体のプロポーションと、この屋根の勾配がこれほどに印象を変化させるものだとは思わなかった。
試行錯誤の結果、伊勢神宮の屋根勾配を拝借することにした。やはり美しい勾配だ。
こうして一枚の板を折りたたんだようなデザインのプロトタイプから始まった。
もう一つの視点
これはOFUDA-DEN「おふだ殿」という名前の由来でもあるのだが、一般に神棚とは、お札を祀り、塩、米、水をお供えし、榊を飾るというのが通例だ。
デザインのスタートも、こうした前提を可能にすることから始まっているのだが、現代という時代と、この神棚が置かれる、あるいは掛けられる空間を考えていく中で思い切って簡略化することにした。
まず最もシンプルなものから始めて、必要ならば、本格神棚のデザインをすればよい。こうしてお札をお祀りすることに特化したシンプル神棚「おふだ殿」に至った。
これも開発エピソードのひとつだが、すべてが整っているであろう大企業の社長室は、およそ縁がないのだが、仕事がら中小企業の社長さんにお目にかかる機会が多い。神棚まではいかないのだが、お札は結構存在していて、置き場に困っている事が見て取れる。社長室でも応接室でも、サイドボードの上に置いておける、いわばお札たてが必要だなと思った。
壁に掛けても、置いても使える神棚である。
縁起でもない
「縁起でもない」という言葉を耳にすることがある。縁起がいい、悪いというのは吉凶のきざしの表現だ。
ごく初期のおふだ殿は、何もない板を床、壁、屋根と折り曲げただけの構造からスタートしたのだが、壁に掛けられた場合には、なにかの拍子にお札が落ちるという可能性があった。コンパクトなサイズも災いしてちょっとした地震でも落ちそうだ。
お札が落ちるというのは、まことに「縁起が悪い」ということになりそうだ。
そのためには、多少の事があってもお札が落ちない工夫が必要になる。こうしてお札止めがデザインされた。
そして、床と壁のジョイントだ。コストを考えれば、今時はボンドで貼っても十分な強度を得ることは容易だ。 どこかに特別がほしい。なんとなく御利益とはそんなもののような気もしている。 そこで、職人技の極地ともいえる蟻組で組むことにした。制作する桜製作所の職人技をどう見せるかもデザインのうちである。 この部分は、おふだ殿のデザインのクライマックスのような部分で、構造からしても絶対に床が外れることはない。
職人からすれば見せ所のこの最も手のかかる技の仕口は正面から見えない、横からも見えない。
日本の伝統工芸の手仕事の世界には、裏側の美学というようなものがあったように思う。今は機能とコストをつめていくと、商品としてはとても裏側までかまっていられない時代だが、かつては見えない部分でも決して手を抜くような事はなかった。
あり組の美しい仕口の見えるOFUDA-DENの背中は、絶対に外れない床から発想しているのだが、一方では、職人の心意気の復権を少しばかり意図してデザインした。
小さなチャームポイント
さて、なにか遊びが必要だ。
私はデザインするときにいつもそう思っている。桜製作所は家具用材では王様とも言われるブラックウォールナットを使っての家具づくりを最も得意としている。お札止めにブラックウオールナットの小さなピンをデザインした。
モノと使う人の距離感みたいなものがあって、この小さなピンは、優しい距離感づくりに貢献しているように思っているのだが、いかがなものだろう。
なにごとも素材
材料だが、数種の材料で試作を重ねたが、最終的に、やはり檜にこだわった。
コストのこともあり、最初の試作は板目の檜を使ってみたが、なにやら間伐材の利用プロジェクトの様に見えてどうにも納得できるものではなかった。だいぶコストがかさむのだが、やはり柾目の美しさには代え難いものがある。
贅沢と言われれば、それまでだが、やはり国産の檜材にこだわっている。時節柄か大変高価な材料だと聞いている。
いよいよ発売
前日になってしまったのだが、伊勢神宮にお参りに行ってきた。多忙の折、日帰りの急ぎ参りであったが、どうしても完成したら、伊勢神宮へお参りをしようと決めていた。
鎮守の森は消えない
地方へ出かけると、遠くから見ても明らかに鎮守の森とわかる場所がある。周辺が開発されると、ますます小さな森が目立っている。でもきっと鎮守の森は激減しているのだろう。
一昔前までは、どこに行っても鎮守の森というのがあった。 鎮守の森は老若男女のコミュニケーションプラザであった、村祭りの会場でもあり、デートの場所でもあった。鎮守の森の激減とともに、神様は遠くに行ってしまったのかと思ったが、そんなことはなさそうだ。 初詣、に始まり、初宮参り、七五三、から入学、就職、そして交通安全、商売繁盛など現代人もたいそう神様のお世話になっている。 鎮守の森は形を変えても、日本人の心の中にありつづけているように思う。
愛用の椅子
ずいぶんと昔のことなのだが、あらためてこの椅子をひっくり返してみると、1978年5月とある。1978年の小田急ハルクで開催された、ジョージ ナカシマ展で手に入れたものだ。
私の目の前でジョージ ナカシマがサインをしてくれたのを記憶している。
なによりも確かな記憶は、当時の私にとっては、とんでもなく高価なもので、それでも、どうしても欲しい気持ちを抑えきれずに、ほとんどやけくそなる決心をしたことを思い出す。
かつて白かったスピンドルは、いい具合の飴色と化し、ブラックウオールナットも時の流れとともに赤みを増す。傷だらけになっても、傷が風合いとなる。30年間という時間が作った美しさだと思っている。
決して飾ってあったのではない。途中の何年間かは、存命だった両親が、なんでも貸せといって、ちいさなテーブルに向かい合って、この椅子で食事をしていた時代もある。
さすがに僅かなゆるみが生じて、ひどくならない前にと、桜製作所に締め直しを依頼したのがもう十数年前のことになる。
このままいくと、この椅子は立派に次世代に受け継ぐことができるだろう。ただし、受け継いでくれればの話だが。
1955年に原型が登場
ラウンジチェア・アームの原型と思われるデザインがナカシマの1955年のカタログに掲載されている。
この椅子がラウンジアームの原型であることは容易に想像がつくのだが、座面は布のテープであり、現在のような板の座面のデザインは1962年の発表となっている。
オリジナルから半世紀過ぎた現在にあっても、古さを全く感じさせないデザインだ。
この椅子のチャームポイントはなんといっても、ちょっとしたメモをとったり、時にはお茶の小テーブルと化す幅広のアームにある。もちろん食後になっても、だらしなく酒を飲み続ける私にとっては、うってつけである。広い座板は胡座にも良い。
考え抜かれたデザイン
建築家からスタートしたジョージ ナカシマは家具づくりにあたって、家具も建築も基本的には同じだと述べている。その考え方を裏付けるようにナカシマの家具はどれも建築的、あるいは彫刻的な美しさを持ってる。
ディテールを見ていくと、デザインも構造も、強度すらも考え抜かれていることがよく解る。そこには単なるデザインや機能を越えたナカシマの精神性からくるディテールを発見することもできる。
ところが言うのは簡単だが、作る方にしてみると、もちろん治具あってのことだが、太さも違う、角度も違う部材を正確に組み立てていくのは、想像を絶する手間と技術を要する。
もちろん、この椅子がデザインされた時代にはコンピュータ制御の工作機械などありはしない。今の桜製作所の工場でも職人の手技で作られている。何故手仕事でなければできないかは、後段の話を参照してほしい。
価格というのは特別の場合をのぞいて適切につけられていると信じているので、高いの安いのというのは個人の問題だと思っている。コストパフォーマンスというか、モノには適正な価格というものがあって、高すぎても、安すぎてもいけない。この椅子が半世紀近くに渡って、作り続けられ、今も多くの人々に買われ愛用されているのは、そのクオリティと価格を理解する人たちに支えられているのだろう。
ただ私個人にとっては前述のように、この椅子を2脚求めるのに大決心が必要だった。当時の価格からすると、現在の価格はむしろ安いと言えるかもしれない。途中買っては捨てた椅子も決して少なくはない。
今、改めて良いものを大事に長く使うことの大切さを感じている。
我が家のラウンジチェア・アームも使い続けるうちに自分はなんと素晴らしい買い物をしたのかと思うようになった。それほどにこの椅子にほれている。
以下は多少なりとも専門的な視点から書いている。
驚異のディテール
ものの美しさに理屈などありはしないのだが、ここではものづくりに携わる一個人として、又デザインとして、この椅子の話をしてみようと思う。
この椅子を、つぶさに観察していると、ジョージ ナカシマという木匠の人柄が浮かび上がってくる。同時にコンピュータ全盛の時代になっても、この椅子は何故手仕事でしかできないのかも解ってくるだろう。
彫刻のような造形
ナカシマの家具はどの作品も彫刻のようだと思う。
この椅子のアーム側から真横に見た姿が好きだ。ゆったりと湾曲したバックから水平にアームの板がのび、座板との対比の線が美しい。座面にはバックのスピンドル群、アームの板を固定するための2本のスピンドルそして脚。そのすべての角度が微妙に異なることにお気づきだろうか。今時の生産効率一点張りの発想からこんなデザインは決してでてこない。他でも触れるが、これらのディテールは机上のデザインからできるものではない。試作を重ねて完成度を高めていったものだろう。家具は小さな建築だというナカシマの発想が見えてくる。
インプレッションとディテールの見事なコントラスト
アームの板の話をしよう。
それもとっておきの話から始めよう。アームの内側、座って体の側は直線に見えるし、実際に使っておられる人たちも気づかない人が多い。そういう自分も購入当初は気がつかなかった。
目を凝らして見ると、あたかも人の体をいたわるように、ごく僅かな曲線になっていることに気づくだろう。
機能からしても、手間からしても、このディテールは意味を持たない。私はジョージ ナカシマの精神性からくるディテールのデザインだろとうと思っている。人柄が見えてくる。
アームの板のデザイン
アームの板は二つと同じモノはない。ラウンジチェア・アームの長い歴史の中では、様々な美しい素材を使った、いわば番外ものも多く作られてきた。
アームの板は外側に少しだけ自然の部分を生かして木どりされている。この素朴な部分を残す一方で、前述の僅かなアールというディテールのハーモニーはただ驚くばかりである。
アームの板と一番端のスピンドルの接合部分を見てみよう。
さあクイズではないが、スピンドルはアームの板を貫通しているのでしょうか、それとも二本のスピンドルで上下から挟んでいるのでしょうか。
答えは、貫通した一本の棒だ。スピンドルの僅かなテーパーを利用して止めて、内側から竹のピンで固定しているのだが、所定の位置で寸分の隙間も無く水平に固定されるようにセットする。いかに技術と精度が必要かおわかりいただけると思う。
アームの板のデザイン2
アームの板が何故このような形にデザインされているだろうか。まず後ろと前の線だが、これは概ね座板の美しい曲線の延長線上にあると言ってよい。(写真3参照)では何故前の線を途中で折り返しているのだろう。
ここにもナカシマの人に対する優しさがあるように思える。座板のカーブに従って延長していくと終端は鋭い鋭角になる。これを避けたデザインだろう。