鎮守の森は消えない
地方へ出かけると、遠くから見ても明らかに鎮守の森とわかる場所がある。周辺が開発されると、ますます小さな森が目立っている。でもきっと鎮守の森は激減しているのだろう。
一昔前までは、どこに行っても鎮守の森というのがあった。 鎮守の森は老若男女のコミュニケーションプラザであった、村祭りの会場でもあり、デートの場所でもあった。鎮守の森の激減とともに、神様は遠くに行ってしまったのかと思ったが、そんなことはなさそうだ。 初詣、に始まり、初宮参り、七五三、から入学、就職、そして交通安全、商売繁盛など現代人もたいそう神様のお世話になっている。 鎮守の森は形を変えても、日本人の心の中にありつづけているように思う。
なにごとも素材
材料だが、数種の材料で試作を重ねたが、最終的に、やはり檜にこだわった。
コストのこともあり、最初の試作は板目の檜を使ってみたが、なにやら間伐材の利用プロジェクトの様に見えてどうにも納得できるものではなかった。だいぶコストがかさむのだが、やはり柾目の美しさには代え難いものがある。
贅沢と言われれば、それまでだが、やはり国産の檜材にこだわっている。時節柄か大変高価な材料だと聞いている。
いよいよ発売
前日になってしまったのだが、伊勢神宮にお参りに行ってきた。多忙の折、日帰りの急ぎ参りであったが、どうしても完成したら、伊勢神宮へお参りをしようと決めていた。
小さなチャームポイント
さて、なにか遊びが必要だ。
私はデザインするときにいつもそう思っている。桜製作所は家具用材では王様とも言われるブラックウォールナットを使っての家具づくりを最も得意としている。お札止めにブラックウオールナットの小さなピンをデザインした。
モノと使う人の距離感みたいなものがあって、この小さなピンは、優しい距離感づくりに貢献しているように思っているのだが、いかがなものだろう。
縁起でもない
「縁起でもない」という言葉を耳にすることがある。縁起がいい、悪いというのは吉凶のきざしの表現だ。
ごく初期のおふだ殿は、何もない板を床、壁、屋根と折り曲げただけの構造からスタートしたのだが、壁に掛けられた場合には、なにかの拍子にお札が落ちるという可能性があった。コンパクトなサイズも災いしてちょっとした地震でも落ちそうだ。
お札が落ちるというのは、まことに「縁起が悪い」ということになりそうだ。
そのためには、多少の事があってもお札が落ちない工夫が必要になる。こうしてお札止めがデザインされた。
そして、床と壁のジョイントだ。コストを考えれば、今時はボンドで貼っても十分な強度を得ることは容易だ。 どこかに特別がほしい。なんとなく御利益とはそんなもののような気もしている。 そこで、職人技の極地ともいえる蟻組で組むことにした。制作する桜製作所の職人技をどう見せるかもデザインのうちである。 この部分は、おふだ殿のデザインのクライマックスのような部分で、構造からしても絶対に床が外れることはない。
職人からすれば見せ所のこの最も手のかかる技の仕口は正面から見えない、横からも見えない。
日本の伝統工芸の手仕事の世界には、裏側の美学というようなものがあったように思う。今は機能とコストをつめていくと、商品としてはとても裏側までかまっていられない時代だが、かつては見えない部分でも決して手を抜くような事はなかった。
あり組の美しい仕口の見えるOFUDA-DENの背中は、絶対に外れない床から発想しているのだが、一方では、職人の心意気の復権を少しばかり意図してデザインした。
もう一つの視点
これはOFUDA-DEN「おふだ殿」という名前の由来でもあるのだが、一般に神棚とは、お札を祀り、塩、米、水をお供えし、榊を飾るというのが通例だ。
デザインのスタートも、こうした前提を可能にすることから始まっているのだが、現代という時代と、この神棚が置かれる、あるいは掛けられる空間を考えていく中で思い切って簡略化することにした。
まず最もシンプルなものから始めて、必要ならば、本格神棚のデザインをすればよい。こうしてお札をお祀りすることに特化したシンプル神棚「おふだ殿」に至った。
これも開発エピソードのひとつだが、すべてが整っているであろう大企業の社長室は、およそ縁がないのだが、仕事がら中小企業の社長さんにお目にかかる機会が多い。神棚まではいかないのだが、お札は結構存在していて、置き場に困っている事が見て取れる。社長室でも応接室でも、サイドボードの上に置いておける、いわばお札たてが必要だなと思った。
壁に掛けても、置いても使える神棚である。
神棚のデザイン
神棚のデザインと書きながら、とても不思議な表現かもしれないと思っている。多分神棚というものはデザインされた事がないのではなかろうか。
断っておくが、ここでデザインとはなにかという論議は神棚に上げておくことにしたい。
神棚は古来から家内安全、繁栄を祈願して神様を家の中に祀るための社として始まったものだろう。
だから、現在にいたるまで世の中で販売されている神棚は例外を除いて、神社のミニチュア、すなわち神社の模型が基本になっている。
伊勢神宮の社のように、極限のシンプルさと美しさを備えたものは、現代のモダンな空間でもマッチすると思うが、そこに多少の商売気が入るものだから付録の装飾が豪華絢爛にほどこされて、不思議な神棚が出来上がる。
今でも地方の旧家に残る神棚には美術品級の細工がほどこされた巨大な神棚を目にすることがあるが、かつては、競うように神棚を作ったのではなかろうか。
お宮を極限までシンプルにする。
OFUDA-DENのデザインの基本は、お宮を極限までシンプルにすることである。 別な表現をすれば、建築は床と壁に屋根がある。それだけだ。
床は基礎のイメージと重なって厚く、壁を表現する部分はなんの装飾もないただの壁だ、屋根の表現もシンプルそのものだが勾配にはこだわった。全体のプロポーションと、この屋根の勾配がこれほどに印象を変化させるものだとは思わなかった。
試行錯誤の結果、伊勢神宮の屋根勾配を拝借することにした。やはり美しい勾配だ。
こうして一枚の板を折りたたんだようなデザインのプロトタイプから始まった。
きれいな神棚がほしい、がきっかけ
デザイナーが自分でほめてもしょうがないのだが、朝日に輝くOUFDA-DENの最終試作は、神々しいほど美しかった。
神棚のデザイン開発に着手したきっかけを少しばかり紹介しておこう。
「最近の家には神棚はないのだろうか」。
ある時、若者たちと神棚論議になった。
立派に老人の入り口まできている自分の理解は、最近の若者はきっと神様離れもさぞかしすすんでいるものと思っていたのだが、実はそうでもない。
若者たちもなにかにつけて、神社にお参りし、お札をいただいてくるという習慣は決してすたれていない。
ただ、昨今の都会の洒落た住宅空間には、古来からのお宮の模型のような神棚はそぐわない。だからだろうか、食器棚の上とか中とかに神様が鎮座することが多いようだ。