井谷伸次さんと和紙
井谷伸次さんは江戸時代から続く紙漉の七代目
紙の話が長くなったが、井谷伸次さんの話にもどそう。
井谷さんは不思議な人だ。四六時中仕事のことを考えている。仕事とは紙のことだ。だから我々のようにアイディアがどうだとか、商品開発とかヒット商品とか、という視点とは少しばかり異なるように思える。
紙漉の技術は修行がいるのは当然としても、極めて単純だ。その原点はおそらく千年前とそう変わっているとは思えない。
時代とともに、人々の細かな工夫が積み重ねられてきていることは間違いないが、おそらく紙漉の歴史の中での最大の変化は漉いた紙の乾燥方法ではなかろうか。
漉き上げた紙を板に貼って天日で乾燥させる。これが古来からの方法だ。そうですかと言ってしまえばそれまでだが、この、当たり前ともいえる、濡れた紙を板に貼って天日で乾かすという「こと」が、紙漉の生活の多くを物語ることに気づくだろう。
まず、天候に左右される仕事である。
今でも部分的ながら天日干しを手がける井谷さんと電話で話していると「いや、天気が少しばかり心配で」という言葉が登場する。
今では殆どの紙漉場には、電気などの熱源をそなえた金属板の乾燥機があり、天候に左右されることはない。ただ、これは紙の素人の私の推測にしかすぎないのだが、天日干しは太陽光の晒し効果があるように思えるのだが、どうだろう。
こうした乾燥機が普及する前は、庭中に何十枚という板を並べて天日に干すのは大変な力仕事であったに違いない。又当然のことながら効率を考えると板の両面に漉いた紙を貼る。だから一面が乾いたら板をひっくり返す手間がいる。
まして、突然の雨がきたらどうする。家族総出で板を取り込んだにちがいない。
順序が逆だが、紙を漉く前の原料の仕込みも大変な手間のかかる仕事だ。現代の都会に暮らす私のようなずぼらな人間にとっては、よくまあ、これほどの手間をと思うのだが、井谷家の人々は、輝く笑顔で話しながら、手先は黙々と動き続けている。